2009年 01月 07日
食べられるということの幸せ。 |
造り手としてだけではなく、一人の人間として屋根があり食べるものがある幸せを感じないわけにはいかない。
毎日ちゃんと1食でも食事が出来る人は世界中で10%に満たないそうだ。
雇用と労働のバランスが崩れ路頭に迷う人がいるという事を、連日テレビやラジオで見聞きする。
確かに、労働者なんて代えはいるだろう。
誰がやってもおなじだから辞めさせられたのか?
将来設計がちゃんとしていなかったからなのか?
では、優秀な人材とはどんな人のことを言うのか?
人を路頭に迷わせる人のことを優秀な人とでも言うのだろうか?
賢きを「人」儚きを「畜生」と言うのである。
自社の高級車を乗り回し、贅沢な生活をして、本来無駄であることを平気で行う。
この人たちが「賢い」”人”なのか?
忘恩は人として最も恥ずべきことだと思う。
路頭に迷っている労働者に一時期でも自社を支えてくれたと思っているのなら、
経営者はもう一考されても罰は当たらないと思う。
しかしもう、労働に対する対価は払っている・・とでも言う人は、
鮨屋のカウンターで美味しいお寿司が一生食えないと思う。
お金だけじゃないだろう・・。
毎年、ガレットデロワを作るとイエスキリストは本当に神の子だったのか?
と、疑いたくなる。
すべての人に平等ならば、すべての人に平等でなくてはならないのでは?
イエスキリストは、神としてではなく、自分の信念はどんなことがあっても貫くという、
”人間”としての姿を示したのではないだろうか。
毎日ちゃんと1食でも食事が出来る人は世界中で10%に満たないそうだ。
雇用と労働のバランスが崩れ路頭に迷う人がいるという事を、連日テレビやラジオで見聞きする。
確かに、労働者なんて代えはいるだろう。
誰がやってもおなじだから辞めさせられたのか?
将来設計がちゃんとしていなかったからなのか?
では、優秀な人材とはどんな人のことを言うのか?
人を路頭に迷わせる人のことを優秀な人とでも言うのだろうか?
賢きを「人」儚きを「畜生」と言うのである。
自社の高級車を乗り回し、贅沢な生活をして、本来無駄であることを平気で行う。
この人たちが「賢い」”人”なのか?
忘恩は人として最も恥ずべきことだと思う。
路頭に迷っている労働者に一時期でも自社を支えてくれたと思っているのなら、
経営者はもう一考されても罰は当たらないと思う。
しかしもう、労働に対する対価は払っている・・とでも言う人は、
鮨屋のカウンターで美味しいお寿司が一生食えないと思う。
お金だけじゃないだろう・・。
毎年、ガレットデロワを作るとイエスキリストは本当に神の子だったのか?
と、疑いたくなる。
すべての人に平等ならば、すべての人に平等でなくてはならないのでは?
イエスキリストは、神としてではなく、自分の信念はどんなことがあっても貫くという、
”人間”としての姿を示したのではないだろうか。
by bon-attelle2007
| 2009-01-07 20:17